プジョーの歴史 1889-1918

アルマン・プジョー、自動車の時代

主な出来事

Type 5

1889 - 1891

1889年、プジョーの名を冠した最初の自動車が誕生。レオン・セルポレと共に開発した蒸気三輪車セルポレ・プジョーが発表されました。この時すでにプジョー工場では1,100名の従業員が働いていました。1890年、アルマン・プジョーは、スチームを断念し、ガソリンエンジンにダイムラー製エンジンを搭載したプジョー・ブランド初のガソリン四輪自動車Type 2を製造。1891年、Societe Peugeot freres(プジョー兄弟社)を、Les fils de Peugeot freres(プジョー兄弟の息子達の会社)に変更。リゴルとドリオの二人が運転するガソリンエンジンの四輪自動車Type 3が、パリ‐ブレスト往復レースに参加。車は、ヴァランティニェとブレスト間、往復2,200kmを時速14.7km/hで走破しました。プジョー車最初の購買者は、1891年10月2日に車両が納車され、このType3の車は全部で64台製造されました。

1892 - 1895

アルマン・プジョーは、Type 5(二人乗り)、Type 6、Type 7フェートン、 Type 8ビクトリア、Type 9ビザビ(対面シート)、Type 10エステートとラインナップを拡大し、さらにType 11(二人乗り、Type 12(クローズ型ワゴン)を追加、プジョー最初のデリバリーワゴンType13も発表しました。
エドゥアールとアンドレ・ミシュランは、パリ~ボルドー~パリのレースにおいて、「稲妻」のニックネームで呼ばれたType 6で最初の空気入りタイヤを試用しました。

Type 36

1896

アルマン・プジョーは、乗用車とトラックの生産に特化したAutomobiles Peugeot(オートモビル・プジョー社)を設立。アルマンの従兄弟ウジェーヌの息子達は、工具、自転車、オートバイの生産を受け持つLes fils de Peugeot freres(プジョー兄弟の息子達の会社)を設立。
2気筒式プジョ水平ー社製エンジン(特許はMichaux/ミショー)第一号を搭載したType 14が発表され、この年以降ダイムラー社製エンジンは使用されなくなりました。

1897 - 1900

アルマン・プジョーは、ドゥー地方のオダンクールに自動車工場を建設し(敷地面積5万平米、建築面積4千平米)、もう一箇所の工場がフィーブリルに建設されました。商品ラインナップは一新され、Type 14(2人乗り)、Type 15(ベストセラーになったフェートン型オープンカー)、Type 16(対面シート)、Type 17(超小型車)、Type 18(8人乗りワゴン)に加え、Type 21から25までが発表され、モデルライナップは増え続けました。カタログには、全車プジョー社製エンジンを搭載し、ミシュランのチューブ入りタイヤがオプションで(ソリッドタイヤと交換)納車可能な2人乗りから12人乗りまで15モデルが記載されました。1898年7月プジョーは、第一回パリ・モーターショーに出展。
1900年、プジョーの自動車生産台数は、年間500台に達し、1889年からの累積で1,296台を達成しました。

PEUGEOT VALENTIGNEY

1901

後部座席が1人用と2人用の2種類が造られたType 36は、新しい縦型単気筒直立エンジンが採用され、プジョー初のフロント・ボンネット付モデルで、ハンドルバーに代わり傾斜式ステアリング・コラム付きのステアリング・ホイール、チェーンレス変速機を採用したことも大きな特徴でした。

1901 PHOTO

PEUGEOT VALENTIGNEY

1902 - 1904

プジョーのモデルラインナップは、Type 36の投入により大きく入れ替わりました。
この年、Automobiles Peugeot(オートモビル・プジョー社)は、本社をルヴァロワに移転しました。プジョー製トラックが国民賞を授与されました。:プジョー20 CVは、ラチュービ(海岸~アルプス)の頂上に時速40キロで到達しました。
1903年、ラインナップの見直しが図られ、Type42、43、44(4気筒エンジン)、50(2気筒エンジン)、54と56(単気筒エンジン)の6モデルになりました。
単気筒縦型エンジン搭載の第一号ベベ・プジョー(Type 69)が1904年に登場しました。
1904年から第一次世界大戦まで、アルマン・プジョーは、毎年ラインナップを更新しました。

1902-1904 PHOTO

ベベ BP1

1905 - 1908

Les fils de Peugeot freres(プジョー兄弟の息子達の会社)が最初に製造した自動車は、単気筒エンジンを搭載したライオン・プジョーで、これはその後V型2気筒エンジン搭載に変更されました。アルマン・プジョーが革新的な自動車の開発に取り組む一方で、Les fils de Peugeot freres(プジョー兄弟の息子達の会社)は大衆的な小型車に特化しました。
この年、蓄音機用のスプリングがプジョーの工場で毎月30トン生産されていました。
1908年、Automobiles Peugeot(オートモビル・プジョー社)とLes fils dePeugeot freres(プジョー兄弟の息子達の会社)で合わせて2,220台の自車 を生産しています。

1910 - 1913

Societes Automobiles Peugeot(オートモビル・プジョー社)とLes fils de Peugeot freres(プジョー兄弟社)が統合して、Societe anonyme des automobiles et cycles Peugeot(オートモビル・サイクル・プジョー社)が設立されました。社長はロベール・プジョー。第一次世界大戦が始まるまで、自動車と自転車、2つの商品レンジは併行して生産されました。1912年、エットーレ・ブガッティがデザインした二代目のベベ・プジョー(Type BP1)が発表されました。この6馬力のニューモデルは1916年までにボーリュー工場で3,095台生産されました。
1913年、ソショー工場の建設着工。
1911年~1913年の間に、生産スピードは3倍に上がり9,338台になりました。プジョーはフランス国内生産台数の50%を占め、国内販売台数の20%に相当します。

ベベ BP1

1914 - 1916

La Societe anonyme des automobiles et cycles Peugeot(オートモビル・サイクル・プジョー社)の従業員数は2,500人となり、年間生産台数は自動車10,000台、自転車80,000台に達しました。
1915年、自動車部門創業者であるアルマン・プジョーが他界しました。
1916年、ロベール・プジョーがソショー・モンベリアールに新たな工場用地を取得しました。

1914-1916 PHOTO

PEUGEOT VALENTIGNEY

1914 - 1918

第一次世界大戦中、プジョーの各工場はフランスの戦時体制に協力し、様々な物資を供給しました。オートバイ1,000台、自転車63,000台、自動車3,000台、トラック6,000台、戦車用エンジン1,400台、飛行機用エンジン10,000台、爆弾・砲弾600万など。
フランスで最初の企業新聞「Bulletin des Usines」が刊行されました。

1914-1918 PHOTO